今も佐賀などにみられる次郎左衛門雛とは?|雛人形・五月人形・浮世人形なら真多呂人形~大正8年創業~

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今も佐賀などにみられる次郎左衛門雛とは?

佐賀の文化遺産である次郎左衛門雛

次郎左衛門雛は、江戸時代に雛屋次郎左衛門という人形師によって、
京都にて創設されたものです。
特徴として引目鉤鼻のついた丸い顔になっており、
それがまるで平安時代に貴族の間でもてはやされた恋物語に出てくる人物のようだ、
と評判となりました。
この引目鉤鼻というのは細く引かれた目と小さな鼻のことで、
当時貴族を描く時に用いられていた用法でした。
毎年少しずつ変わる雛人形の流行にぶれることはなく、
雛人形の本流となったものとして昔から大名や公家などにも人気がありました。
江戸時代の人々はひなまつりになると夜にはぼんぼりに灯りをつけ、
雛人形を飾って過ごしていたといわれています。
始めの頃、次郎左衛門雛は上流階級の人々のために作られていた雛人形でしたが、
18世紀中頃になると、幕府の御用を務めていた雛屋の支店が江戸にでき、
それによって、江戸の一般市民にも流行するようになったといわれています。
佐賀藩の公服とされていた、裃の紋様の鍋島小紋を衣装にも用いられています。

高さ30cmもある大きな雛人形

次郎左衛門雛は、現代のひなつりで飾られている雛人形よりもとても大きなものです。
大きさは男雛が30.5cmほど、女雛が22cmほどあります。
またかつての佐賀藩主であった鍋島家には、
現代でもこの雛人形が大切に保管されていますが、
3対あるうちの2対が11代鍋島直大公夫妻によって誂えられたものでした。
そして残りの1対は昭和6年に降嫁した13代直泰公の夫人の所有していたものでした。
この人形の背中に紙縒の墨書が貼られており、
それによると、男雛はこの夫人が所有していたもので、
女雛のほうは彼女の父である朝香宮鳩彦王が持っていた人形であることがわかっています。
当時は女性だけではなく、男性も雛人形を持っていたということになります。
またひなまつりに飾る人形は、
親から子へと受け継がれていっていたものだということもこれによってわかります。
当時は現代のような何段にも飾る人形ではありませんでしたので、
大きさも大きめのものになっていたのです。