最古の座り雛・室町雛について
大人が楽しむ室町雛について
雛祭りは、元々は端午の節句の祭りで、その発祥は中国だと言われています。
元々は、お祓いの行事であり、春が来る直前に、川辺や湖などで手を洗い、
今後一年間、水難に遭わないように願う行事だったと言われています。
それが我が国に入って来て、自身の穢れを、紙で人型を切り取った紙人形に託して、
川や海に流すなどの風習に変化していきました。
平安時代や鎌倉時代など、まだ全国が統一されていなかった時代は、
その様な民間信仰がずっと行われてきたのでしょう。
また平安時代には、子供たちの遊びのための紙雛が流行ったとも言われております。
これが変わるのが、室町時代に入ってからといわれますが、この時代については、
歴史の授業でもなかなか分からない部分が多いとのいうのが実情で、
室町幕府などはどの程度まで機能していたのか不明だというのが、
現在の識者の判断と言えるでしょう。
この時代に出現したという大人の鑑賞用の室町雛というのも、
本当かどうかは分からないと言われます。
室町雛の出現について
雛人形が至上初めて登場したのが、室町時代の室町雛と言われています。
ですが、この室町雛は、江戸時代に創られたものとの説もあり、一定していません。
これまで、雛人形と言えば、立ち雛だけで、座り雛は無かったと言われます。
座り雛とは、その名の通り、座っている雛人形であり、大人が楽しむためのものです。
この座り雛が出現した時代から、ひなまつりらしきものがあるのではないでしょうか。
実は、ひなまつりのルーツにしてもはっきりしていないのではないでしょう。
江戸時代から始まったとも言われる座り雛ですが、室町と銘打たれているからには、
室町時代に始まった可能性も否定できないでしょう。
余り知られていない室町時代ですが、実は、
豊臣秀吉より先に天下統一を果たした室町幕府第六代将軍、
足利義教という恐怖政治を敷いた人物がおり、
この将軍の元で束の間の安定を得た市民らが、座り雛で楽しみ、
それがひなまつりの原型になったのではないかとも推察されます。