今も薩摩のひなまつりなどにみられる有職雛の特徴とは?|雛人形・五月人形・浮世人形なら真多呂人形~大正8年創業~

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今も薩摩のひなまつりなどにみられる有職雛の特徴とは?

有職雛(ゆうそくびな)の特徴とは?

有職雛(ゆうそくびな)は、京都の宮廷の文化を受け継ぐ正統派の雛人形のことで、
御所の有職の家柄である京都の山科家・高倉家によって、
1751~1772年頃に作られたといわれています。
優美で華麗な公家の着る装束が特徴で、髪形は「おすべらかし」、
お顔は面長で、切れ長の目、小さめな口には薄く紅がひかれています。
公家の着る装束は、十二単に象徴されるように、
何枚もの衣を重ねているため、絵柄は下に隠れてしまうので、
多様な色の生地に幾何学模様を入れるようになったといわれており、
そうした色使いや連続の幾何学模様も特徴となっています。
薩摩のひなまつりによく見られる有職雛の歴史

今もなお、鹿児島の「薩摩のひなまつり」などにみられる有職雛には、
江戸時代からの歴史が関係しています。
それは、五代将軍徳川綱吉の養女である竹姫が、
1729年、島津家に輿入れの際にはじめて有職雛を持参したといわれています。
その有職雛とお道具は、99種407点にものぼる豪華な品々で、
今では鹿児島県指定有形文化財にもなり、日本でも三本の指に入るほどの逸品とされ、
年に一度、一般公開されています。
大変貴重なもので、全て並べられている様子は圧巻で、一度は見ておきたいものです。
この有職雛は島津家に代々伝えられ、
第十一代薩摩藩主である島津斉彬の息女である典姫が誕生した際にも、
嫁入り道具として作られました。
また、1853年の和宮様が十三歳の時にも、御所から有職雛が送られています。
このように、この時代、気品ある豪華な有職雛は上流階級で大変人気の高いものでした。
有職雛は伝統的には向かって右側に男雛を、向かって左側に女雛を飾っていましたが、
明治維新に伴って雛人形の並べ方も逆になり、
現在では向かって左側に男雛を飾ることが普通になっています。
しかし鹿児島の有職雛は、今でも左に女雛、右に男雛を飾っています。