無形民俗文化財のもちがせ流しびなとは?|雛人形・五月人形・浮世人形なら真多呂人形~大正8年創業~

真多呂人形のコラム

無形民俗文化財のもちがせ流しびなとは?

厄除けと身代わり信仰の風習が生んだ流しびな

日本のひなまつりのルーツは、平安時代までさかのぼります。
現在のように雛人形を飾り始めたのは江戸時代になってからで、
流しびなは平安から続く古い民俗行事なのです。
中国伝来の上巳節(じょうしのせつ)という行事中で使われる「ひとがた」は、
草や紙で出来た人形で、3月上旬の巳の日に子どもの身体を撫でて穢れ(けがれ)を移し、
その「ひとがた」を川に流して厄を祓いました。
また全国の神社で現在も続く「大祓」は、
陰陽道に由来する「人形代(ひとかたしろ)」という儀式で、
日本にも古来から続く身代わり信仰の一つです。
これは天下万民の罪や穢れを祓い清めるための儀式で、
「形代(かたしろ)」と呼ばれる身代わりの紙人形に自分の名前と年齢を書き、
形代で身体の悪い所を撫で、息を吹きかけ、罪や穢れを人形に移します。
その後、形代を海や川に流し、自分の代わりに清めてもらうのです。
また、飛騨高山のおみやげとして知られる、赤いぬいぐるみの「さるぼぼ」は、
古代の「這子(ほうこ)」という身代わり人形が原型とされています。
中国から来た「ひとがた」に日本古来の身代わり信仰の「形代」や「這子」が結びつき、
流しびなの原型になったとみられています。
また雛人形の「ひな」の名は、
平安時代の貴族の子らが紙の人形を用いて遊んだ「ひいな遊び」に由来しています。

無形民俗文化財指定の「もちがせ流しびな」

「もちがせの流しびな」は、鳥取県鳥取市用瀬町(もちがせちょう)で、
旧暦の3月3日に行われているひなまつりの民俗行事で、
昭和60年には「用瀬のひな送り」として県無形民俗文化財に指定されました。
米俵の蓋の部分である桟俵(さんだわら)を船にし、
男女一対の紙の雛人形を桃の小枝や菱餅と共に乗せて、
「無病息災で一年間幸せに生活できますように」との願いをこめて、
千代川(せんだいがわ)に流します。
もちがせ流しびなの日には、その家に古くから伝わる雛人形や、
雛人形にまつわるものなどを飾りつけた「ひな飾り公開」を行っています。
これは町民の個人宅を開放して行うもので、
この地域の民俗を知る上で非常に重要な体験といえます。
公民館と流しびなの館では、流しびなの製作実演や手作り体験が楽しめ、
千代川の河川敷ではひな流し体験が行われていますので、
是非ひなまつりの日に合わせて用瀬町に足を運びたいものです。
なお、もちがせ流しびなの当日に訪問が叶わなかった場合でも、
町内施設の「流しびなの館」では、
年間を通して流しびなの製作体験ができるようになっています。
さらに伝統的な流しびなをはじめ、
江戸時代からの貴重な雛人形が800体余りも展示されているのも見逃せないポイントです。