端午の節句に金太郎を飾る理由|雛人形・五月人形・浮世人形なら真多呂人形~大正8年創業~

真多呂人形のコラム

端午の節句に金太郎を飾る理由

金太郎

端午の節句には様々な人形を飾るのですが、金太郎もそのうちのひとつです。

「金太郎」の物語は、足柄山(現在の静岡県駿東郡)に住んでいる
金太郎という子どもが、山に住む熊や鹿や馬や牛とともに、
相撲をとったり綱引きをして遊んでいたところから始まります。
歌では「熊にまたがりお馬の稽古」となっているのですが、
馬に乗らずに熊に乗っていたというのが、今思うと不思議な感じがします。
お伽話にはよくあることなのでしょうけど。

ある時、熊に乗っていた金太郎が、
谷のところで立ち往生していた動物たちを見つけました。
なんでも橋がないため向こう側に渡ることができないためです。
そこで金太郎は、近くにあった大木を体当たりで折り、
その木を谷にかけて橋としたことで、動物たちは谷を渡ることができました。
その後の金太郎はすくすくと成長して若者となり、
都に住む侍の家来となることで、悪者を退治したということで、
物語は締められています。

坂田金時

この金太郎の話の元となっているのが、
平安時代に実在した坂田金時(公時)と言われています。
坂田金時(公時)は、成長してから源頼光の家来となり、
四天王のひとりとして大江山に住む酒呑童子を退治したことで知られています。
その坂田金時(公時)の幼名が「金太郎」であったということから、
伝説が生まれ、江戸時代の近松門左衛門作の歌舞伎や浄瑠璃の題材として
演じられることによって、現在知られているお話に至るようです。
ちなみに余談ですが、坂田金時は「金時豆」の名前の由来にもなっているとのことです。
そして坂田金時の息子である坂田金平は、
きんぴらゴボウの名前の由来となったとも言われています。

金太郎にこめられた願い

その後時代を経ることで、いつしか金太郎は健康を表すシンボルとなりました。
端午の節句に金太郎の人形を飾ることで、金太郎のように、
気持ちの優しく健やかな子どもとして
成長してほしいという願いがこめられるようになったのです。