雛人形の由来|雛人形・五月人形・浮世人形なら真多呂人形~大正8年創業~

真多呂人形のコラム

雛人形の由来

雛人形の由来は様々あります

その一つには、古代中国で3月の最初の巳の日(後に3月3日となる)に水辺に出て
水の力で禊(みそぎ)をする風習があり、その影響を受けたという説です。
日本も中国に習ってこの日に上巳節会(じょうしのせつえ)という節会(宴会)を開くようになり、
大宝元年(701年)に公式に採用されました。

当初日本では上巳節会(じょうしのせつえ)に、草や紙でできた人形(ひとがた)を作り、
自分の身体を撫でて穢れを移し、それを自分の身代わりとして川や海に流す人形信仰があり、
それが流し雛・雛流しの由来となったそうです。
その後、天児(あまがつ)と這子(ほうこ)と言われる人形が登場します。
これは、幼児の枕辺において病気や災厄を祓い、無事な成長を祈るものでした。

また、平安時代に普段の日に貴族の女の子がするお人形ごっこを
雛遊び(ひいなあそび)と言っていたことも由来とされています。
それが、上巳節会や天児(あまがつ)・這子(ほうこ)に結びついて今日の雛祭りの原形なったようです。

その後、室町時代から続いた紙雛の時代も終わり、人形は川に流されることもなくなり、
上等な作りとなって家の中に飾られるようになりました。
江戸時代となり一般の人々の生活にもゆとりができ、文化が大切にされるようになっていくなか、
雛遊びも雛祭りとして定着していきました。

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